必死で頑張る🐴
「こんなステキな昨日」

こんな素敵な風景でしたが、昨日は定休日。
そんな中で馬の蹄鉄を交換する作業「装蹄」を、1日しておりました。
「…」

定休日であると、知らなかった方々が
入れ替わり、入口に来て、中を覗き…。
…すみませんm(_ _)m
「蹄鉄は交換します」

馬の蹄は、1ヶ月に7ミリ程度伸びます。
人を乗せて仕事をする馬は、蹄が削れますのでそれを保護するための蹄鉄を装備します。
それは、特製のクギで留まっています。
「まず外す」

馬班に配属されたマツモトお姉さん。
装蹄の第1段階「除鉄(じょてつ)」。古い蹄鉄を外す作業。
学生時代の、フムフムと学んでいた時と違い、自分の力でやり遂げなければならない。
保定の体制、手順、力の入れ具合、やってみるとわかる事ばかりの中で
慣れぬかがんだ体制で腰は悲鳴を上げ、馬は集中力が途切れてイヤイヤ言い始める。
でも交代して、代わりにやってしまっては勉強にならない。
かといって、本当に限界を超えると、事故が起きてしまう。
手を出さず、口を出す。
まさに「子を想う、親の気持ち」。
1本に格闘する事20分以上。
ここを越えて… 1本の除鉄を…やり遂げた!達成感!
※慣れれば1本1~2分
半年後には「最初は大変だったんですよね~♪」と言えるに違いない。
「冷やす治療」

アイヒメちゃんは、足に熱があったので、2本のホースで冷やしまくる手当を。
「パロマ君は」

軍手を装備し、トナパロになる。
「ニヒ」

ぱーるがNM(ナデナデマスター)に嬉しそうにする。
本当にうれしそうに❤
「張り替える」

夕方、「定休日」の札を張り替える。
※私は本日から3日間、倫理の学びの研修に行ってまいります。
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桜まであと1ヶ月ちょいですね。

今週末は、梅園が満開ですよ!!!🌸
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以下は、敬愛する富士市の柿島由和先生のFacebookから…
フィギュアスケート「りくりゅう」ペアの金メダル。
その輝きは、二人が離れ離れで過ごした挫折の日々を知るほどに、いっそう深みを増していく。
▼
2019年の夏。
相方を失ったばかりの17歳の少女が、
引退を意識し始めていた26歳の男性に声をかけた。
「一緒に、滑ってみませんか」
初めて手を合わせたその瞬間、
リンクの空気が、確かに変わった。
のちに木原龍一はこう語っている。
「最初に滑った瞬間から、きっとうまくいくと感じました」
三浦璃来も、こう振り返っている。
「合わせようとしなくても、自然とタイミングが合ったんです」
まるで運命の出会いのように映る。
けれど、ここに至るまで、
二人はそれぞれに長い回り道を歩いてきた。
▼
三浦璃来。
全国大会で28位だった少女は、
14歳のとき「ペアにすべてを賭ける」と決めた。
周囲が受験や進路に悩む年頃に、
彼女は人生そのものの進路を選び取った。
相方と組み、国内ジュニアを2連覇。
世界大会にも3年連続で出場し、
ようやくその「賭け」は実を結び始めていた。
しかし2019年、ペアは解消される。
17歳。
ペアスケーターでありながら、相方がいない。
履歴書には「職種:ペア」と書いてあるのに、
肝心の勤務先だけが消えてしまったような状態だった。
次が見つからなければ、
14歳で張った人生の賭けそのものが消えてしまう。
▼
一方、木原龍一。
シングル時代、実は有望な選手だった。
小学生で全国優勝、高校生で全国2位。
だが、大技が跳べない壁にぶつかり、
シニアでは3年続けて12位止まり。
20歳のとき、連盟から声がかかる。
「ペアをやらないか」
五輪の団体戦に、日本人同士のペアが必要だった。
本人の希望ではなかった。
それでも「五輪を目指せるのは今しかない」と決断する。
父親は連盟に、こう頼んだという。
「はしごだけは、外さないでください」
▼
相方を変えながら、五輪には2度出場した。
だが、どちらも予選敗退。
本番の舞台に立つことは叶わなかった。
2度目のペア解消。
練習中の脳震盪、限界を迎えた肩。
この体で、次の相手を危険にさらしていいのか。
その問いに、答えは出なかった。
26歳。
ペアは、相手の命を預かる競技だ。
高く投げ、受け止め、持ち上げる。
自分の体がいつ壊れるかわからない状態で、
誰かの人生を背負っていいのか。
「相方が見つかるか」よりも先に、
「見つかったとして、守りきれるのか」。
答えは、やはり出なかった。
同い年の友人たちが社会人として歩み始めている頃、
彼は名古屋のリンクで、
貸靴の受付と氷上の監視員をしていた。
週3日のアルバイト。
時給は大学生と同じ。
夜は併設の宿泊施設でフロントにも立った。
五輪に2度出た選手でも、特別扱いはなかった。
子どもが来れば、目線を合わせて靴を渡す。
仕事終わりには、練習中の子どもたちを
自分の腕でリフトしてあげた。
のちに金メダリストに持ち上げられた子どもたちが、
この国のどこかに、きっといる。
五輪に2度出た男は、
靴を手渡しながら、
「この先、どうしよう」とこぼしていた。
引退は、すぐそこまで来ていた。
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相方を失った少女と、引退寸前の男。
別々に折れかけていた二本の線は、
あの夏の日、一本になった。
「あのときの、
『一緒に滑ってみませんか』から」
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それでも、夢はすぐには叶わなかった。
コロナで大会は消え、
三浦は左肩を脱臼し、
木原は腰の骨を折った。
それでも結果だけは、着実に積み上がっていく。
結成3か月で国際大会5位。
3年目で北京五輪7位入賞。日本ペア初の快挙。
4年目で世界一。主要大会をすべて制した。
▼
そして2026年2月、ミラノ・コルティナ五輪。
三浦24歳、木原33歳。
前半でミスが出て5位。
普通なら、心が折れてもおかしくない。
けれどこの二人は、
何度も「普通なら終わる場所」を越えてきた。
後半で叩き出した得点は、
この競技の歴史上、誰も到達したことのない数字だった。
首位との差6.9点を逆転。
フィギュアで6.9点差とは、
100メートル走で0.5秒差を最後の10メートルで抜くようなもの。
現行ルールになって20年、
五輪でこれほどの逆転は一度もなかった。
日本のペアが表彰台に立ったことすらなかった。
それを越えて、金。
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全国28位の少女と、
リンクでアルバイトをしていた男。
どん底で別々にもがいていた二人が出会い、
7年かけて、世界の頂点に立った。
金メダルだから美しいのではない。
全国28位も、
アルバイトの日々も、
脱臼も、骨折も、
相方を失った夜も、
引退を考えた朝も——
そのすべてが、無駄になっていない。
そのこと自体が、美しい。
今、うまくいっていない誰かに、
この物語が届きますように。
点と点は、あとから、必ずつながる。
※私が「りくりゅう」を知ったのは、今回のミラノ五輪がきっかけです。
にわかの立場で調べた範囲で書いています。
長く応援されてきた方で、「ここが違う」「こんな話もある」という点があれば、ぜひ教えてください。
「8分動画」