新海さんのイケメン日記

必死で頑張る🐴

2026.02.27

 

「こんなステキな昨日」

こんな素敵な風景でしたが、昨日は定休日。

そんな中で馬の蹄鉄を交換する作業「装蹄」を、1日しておりました。

 

「…」

定休日であると、知らなかった方々が

入れ替わり、入口に来て、中を覗き…。

…すみませんm(_ _)m

 

 

「蹄鉄は交換します」

馬の蹄は、1ヶ月に7ミリ程度伸びます。

人を乗せて仕事をする馬は、蹄が削れますのでそれを保護するための蹄鉄を装備します。

 

それは、特製のクギで留まっています。

 

 

「まず外す」

馬班に配属されたマツモトお姉さん。

装蹄の第1段階「除鉄(じょてつ)」。古い蹄鉄を外す作業。

 

学生時代の、フムフムと学んでいた時と違い、自分の力でやり遂げなければならない。

保定の体制、手順、力の入れ具合、やってみるとわかる事ばかりの中で

慣れぬかがんだ体制で腰は悲鳴を上げ、馬は集中力が途切れてイヤイヤ言い始める。

でも交代して、代わりにやってしまっては勉強にならない。

かといって、本当に限界を超えると、事故が起きてしまう。

 

手を出さず、口を出す。

まさに「子を想う、親の気持ち」。

 

1本に格闘する事20分以上。

 

ここを越えて… 1本の除鉄を…やり遂げた!達成感!

※慣れれば1本1~2分

 

半年後には「最初は大変だったんですよね~♪」と言えるに違いない。

 

 

「冷やす治療」

アイヒメちゃんは、足に熱があったので、2本のホースで冷やしまくる手当を。

 

 

「パロマ君は」

軍手を装備し、トナパロになる。

 

 

 

「ニヒ」

ぱーるがNM(ナデナデマスター)に嬉しそうにする。

 

本当にうれしそうに❤

 

 

「張り替える」

夕方、「定休日」の札を張り替える。

※私は本日から3日間、倫理の学びの研修に行ってまいります。

 

 

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桜まであと1ヶ月ちょいですね。

今週末は、梅園が満開ですよ!!!🌸

 

 

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以下は、敬愛する富士市の柿島由和先生のFacebookから…

 

フィギュアスケート「りくりゅう」ペアの金メダル。

その輝きは、二人が離れ離れで過ごした挫折の日々を知るほどに、いっそう深みを増していく。

▼

2019年の夏。

相方を失ったばかりの17歳の少女が、

引退を意識し始めていた26歳の男性に声をかけた。

「一緒に、滑ってみませんか」

初めて手を合わせたその瞬間、

リンクの空気が、確かに変わった。

のちに木原龍一はこう語っている。

「最初に滑った瞬間から、きっとうまくいくと感じました」

三浦璃来も、こう振り返っている。

「合わせようとしなくても、自然とタイミングが合ったんです」

まるで運命の出会いのように映る。

けれど、ここに至るまで、

二人はそれぞれに長い回り道を歩いてきた。

▼

三浦璃来。

全国大会で28位だった少女は、

14歳のとき「ペアにすべてを賭ける」と決めた。

周囲が受験や進路に悩む年頃に、

彼女は人生そのものの進路を選び取った。

相方と組み、国内ジュニアを2連覇。

世界大会にも3年連続で出場し、

ようやくその「賭け」は実を結び始めていた。

しかし2019年、ペアは解消される。

17歳。

ペアスケーターでありながら、相方がいない。

履歴書には「職種:ペア」と書いてあるのに、

肝心の勤務先だけが消えてしまったような状態だった。

次が見つからなければ、

14歳で張った人生の賭けそのものが消えてしまう。

▼

一方、木原龍一。

シングル時代、実は有望な選手だった。

小学生で全国優勝、高校生で全国2位。

だが、大技が跳べない壁にぶつかり、

シニアでは3年続けて12位止まり。

20歳のとき、連盟から声がかかる。

「ペアをやらないか」

五輪の団体戦に、日本人同士のペアが必要だった。

本人の希望ではなかった。

それでも「五輪を目指せるのは今しかない」と決断する。

父親は連盟に、こう頼んだという。

「はしごだけは、外さないでください」

▼

相方を変えながら、五輪には2度出場した。

だが、どちらも予選敗退。

本番の舞台に立つことは叶わなかった。

2度目のペア解消。

練習中の脳震盪、限界を迎えた肩。

この体で、次の相手を危険にさらしていいのか。

その問いに、答えは出なかった。

26歳。

ペアは、相手の命を預かる競技だ。

高く投げ、受け止め、持ち上げる。

自分の体がいつ壊れるかわからない状態で、

誰かの人生を背負っていいのか。

「相方が見つかるか」よりも先に、

「見つかったとして、守りきれるのか」。

答えは、やはり出なかった。

同い年の友人たちが社会人として歩み始めている頃、

彼は名古屋のリンクで、

貸靴の受付と氷上の監視員をしていた。

週3日のアルバイト。

時給は大学生と同じ。

夜は併設の宿泊施設でフロントにも立った。

五輪に2度出た選手でも、特別扱いはなかった。

子どもが来れば、目線を合わせて靴を渡す。

仕事終わりには、練習中の子どもたちを

自分の腕でリフトしてあげた。

のちに金メダリストに持ち上げられた子どもたちが、

この国のどこかに、きっといる。

五輪に2度出た男は、

靴を手渡しながら、

「この先、どうしよう」とこぼしていた。

引退は、すぐそこまで来ていた。

▼

相方を失った少女と、引退寸前の男。

別々に折れかけていた二本の線は、

あの夏の日、一本になった。

「あのときの、

『一緒に滑ってみませんか』から」

▼

それでも、夢はすぐには叶わなかった。

コロナで大会は消え、

三浦は左肩を脱臼し、

木原は腰の骨を折った。

それでも結果だけは、着実に積み上がっていく。

結成3か月で国際大会5位。

3年目で北京五輪7位入賞。日本ペア初の快挙。

4年目で世界一。主要大会をすべて制した。

▼

そして2026年2月、ミラノ・コルティナ五輪。

三浦24歳、木原33歳。

前半でミスが出て5位。

普通なら、心が折れてもおかしくない。

けれどこの二人は、

何度も「普通なら終わる場所」を越えてきた。

後半で叩き出した得点は、

この競技の歴史上、誰も到達したことのない数字だった。

首位との差6.9点を逆転。

フィギュアで6.9点差とは、

100メートル走で0.5秒差を最後の10メートルで抜くようなもの。

現行ルールになって20年、

五輪でこれほどの逆転は一度もなかった。

日本のペアが表彰台に立ったことすらなかった。

それを越えて、金。

▼

全国28位の少女と、

リンクでアルバイトをしていた男。

どん底で別々にもがいていた二人が出会い、

7年かけて、世界の頂点に立った。

金メダルだから美しいのではない。

全国28位も、

アルバイトの日々も、

脱臼も、骨折も、

相方を失った夜も、

引退を考えた朝も——

そのすべてが、無駄になっていない。

そのこと自体が、美しい。

今、うまくいっていない誰かに、

この物語が届きますように。

点と点は、あとから、必ずつながる。

※私が「りくりゅう」を知ったのは、今回のミラノ五輪がきっかけです。

にわかの立場で調べた範囲で書いています。

長く応援されてきた方で、「ここが違う」「こんな話もある」という点があれば、ぜひ教えてください。

 

 

「8分動画」

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